活動日誌−愛西市議団

【12.03.05】真野議員が故永井千年議員の追悼演説

2月28日の愛西市議会本会議

 愛西市議会は、3月定例議会初日の2月28日、昨年末に亡くなった永井千年議員に対して黙祷と、日本共産党市議団の真野和久団長が追悼演説を行いました。八木市長も招集挨拶で弔意を述べました。議場には遺族の永井初子夫人が傍聴されました。 

真野和久議員の「追悼の言葉」
 
 永井千年議員は、昨年、12月24日、永眠されました。
 11月議会の初日に、永井議員本人から「入院する」と連絡を受けたときは、いつもとかわらない口調でした。まさかそれからひと月も経たず、逝去されるとは、思いもよりませんでした。
 あまりにも突然に、そして、まだこれからも議員として活躍してもらえると思っていただけに、今でも信じられない思いです。
 永井議員は、住民の大きな支援を受け、95年、立田村議に当選して以来、村議として10年、町村合併後は、愛西市議として7年の間、常に全力で議員としての職責を果たされました。
 常に市民の声を議会で取り上げ、その実現のために奮闘するとともに、日本共産党愛西市議団の団長として会派を引っ張り、議会運営委員会委員、各常任委員会委員、決算特別委員会委員、また、海部南部水道企業団議会議員を歴任し、鋭い論戦力をいかんなく発揮され、市政の発展に尽力されました。
 さらに、永井議員は、立田村議時代には、地域の住民の方々と産業廃棄物焼却炉建設の差し止め裁判を起こし、その先頭に立って裁判に勝利し、建設を断念させました。愛西市議になってからも海部南部水道企業団談合裁判の原告団事務局を務めるなど、議会の内外で活躍されました。
 いつも市民のために行動し、相談に乗り、その立場に立って我がことのように、怒り、悩み解決に当たって来られました。そして、必要とあれば、躊躇なく全国を飛び回る、その熱意と行動力は、まねできるものではありませんでした。

 議員互助会のレガッタチームの一員として、初優勝の一翼をにない、力強くオールをこぐ姿も忘れられません。
 どんな時も、自分に最善を尽くしてがんばる。最後までがんばり抜いた永井議員を私たちは、忘れることはありません。
 議会人として、常に市民の立場に立ち、真摯に議会に臨んだ永井議員の姿勢を、納得できないことは徹底して追求し、様々な提案を行い、市民の生活の安心と市政の発展を願っていた永井議員の思いを、私たちは学び、引き継いで行きたい。
 今は亡き、永井千年議員の御冥福を心からお祈り申し上げ、追悼の言葉といたします。
 2012年2月28日
      愛西市議会議員 真野和久

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