議員紹介−プロフィール

永井千年(ながいちとし)

永井千年議員は、2011年12月24日、急性肝炎のため逝去いたしました。
日本共産党愛西市議団は、彼の活動に学び、引き継いでがんばります。
永井議員の紹介ページは、彼のひとがらやこれまでの活動を偲び、当面このままとします。


ごあいさつ

   立田村議として3期10年、みなさんの署名やアンケートに支えられて、「就学前までの医療費無料化」「学童保育」「ゴミの回収増」など実現してきました。住民の皆さんと一緒に裁判を起こし、産廃焼却炉の建設をストップし、環境を守りぬきました。
合併後は愛西市議として5年、「子どもの医療費無料の年齢手引き上げ」「立田・八開地区への巡回バス運行拡大」「小規模事業者の登録制度」を実現し、「斎場・給食センター」建設の見直し、「農地の違法転用による産廃置場の撤去」「住宅リフォーム補助制度の創設」「水道料金の引き下げと談合の根絶」などを強く求めてきました。今、庁舎の統合により、各庁舎での住民サービスが大きく削られようとしています。皆さんと力を合わせて、くらし・福祉第一の市政、市民が主人公の市政をご一緒に実現しましょう。

私の生い立ち

繊維の工場を経営する家庭の次男として生まれる

  私は一宮市で、住み込みの女工さんが何人もいる製紐業を営む兼業農家の、男3人兄弟の次男として生まれました。
早飯、力自慢で、いつも上級生相手に学校の土俵で相撲をとっていました。小学校5年生から本を読む習慣ができ、学校の図書室にある歴史や伝記ものを片っ端から読みふけりました。また小学校6年生の時は、児童会の役員として、毎朝早く登校して日の丸を掲揚する子どもでした。中学校は3年間卓球に明け暮れました。

みんなが幸せになれる社会に20歳で日本共産党に入党

一宮高校に入学後、体操部で身体を鍛えながら、「共産党宣言」を読んだり、「資本論」に挑んだりしている中、島崎藤村の「破壊」を読んで、世の中に「部落差別」があることをはじめて知り、強い衝撃を受けました。
自分の生活も朝早くから遅くまで毎日毎日一生懸命働く女工さんの労働によって支えられ、何不自由のない生活を送ることが出来ている。これでいいのかと悶々とした気持ちを持って過ごしてきたことへの解決の光が当たった瞬間でした。「差別をなくすには社会を変えるしかない。自分の暮らしを支えてくれている人々も幸せになれる社会にしたい。経済を学ぼう」と愛知大学に入学しました。
入学してから「授業料値上げ反対」「ベトナム戦争反対」「沖縄返還」などの学生運動に自ら飛びこみました。こうした運動の中心になっていたのが共産党員でした。私は迷うことなく20歳で日本共産党に入党しました。

まじめに働く人が報われる社会―自営業者の営業とくらしを守って

  大学卒業後、中小業者の集まりである民主商工会へ事務局員として就職し、23年間活動しました。
業者は朝早くから夜遅くまで懸命に働いていました。ところが発注元は自らのもうけのために下請け単価を切り下げ、税務署は有無をいわせず税金を取り立てました。「まじめに働いているのに営業していけない」。こうした理不尽を許すことができませんでした。法律や制度を一生懸命調べ、発注元や税務署と何度も交渉しました。また中小業者が自ら営業を守れるように記帳や確定申告、融資の相談、1人親方の労災保険組合をつくりました。当時のこうした経験のすべてが、今の議員活動に役立っています。

「きれいな環境で子育てしたい」当たり前の声が通る世の中に

  31才の時、すでに村会議員だった初子と結婚し、「立田民報」の編集と配布に携わっていました。46才の時、「早く二人にしやあ」「だんなも出て二人でがんばりやあ」の声に励まされ、95年に村議会に送り出してもらい、夫婦で議員をやることになりました。
97年3月、お母さん方から「野焼きをやめさせて」「洗濯物も干せない」と言われ、保健所で調査を行なう中、立田村のグラウンドの横に、産廃焼却炉がつくられることをつかみ、「立田民報」で報告しとところ、子ども会や生協のお母さん達から「ダイオキシンが心配」の声が上がり、一緒に「立田村の環境を考える会」を結成しました。
県が許可を強行したため、産廃焼却炉の建設を差し止める裁判を起こしました。わずか2週間で303人の住民が原告に。住民の立場を守りたいとの思いに胸が熱くなりました。
その後岐阜市などへ出かけて調査する中で、「業者は会社としての実体がない」「暴力団が深くかかわり、代表者が事件を起こしていた」また「焼却炉は安全でない」事実を示して、5年で裁判に勝利し建設を断念させました。
住民が声を上げれば行政も裁判所も動かすことができる、私にとって貴重な経験でした。

略歴

◇1948年一宮市生まれ。62歳。
◇一宮高校、愛知大学卒業。23年間民主商工会に勤務し、税金・融資・経営など中小業者の営業と生活の向上にがんばる。20歳で日本共産党に入党。
◇95年立田村議会議員に初当選し、3期。05年合併で市議会議員になり、06年の市議会議員選挙で再選。現在3期目。
◇98〜03年早尾町の産廃焼却施設建設差し止め裁判の事務局として、裁判に完全勝利し、建設をストップさせる。
◇08〜10年海部南部水道談合裁判の原告団事務局。

現在 日本共産党市議団長。経済建設委員。海部南部水道企業団議会議員。


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すやま初美